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わたしのようちえん [日記]

あれは四歳の頃かしら。

春になったら「ようちえん」に行けると思ってたんだもの。
おばあちゃんが可愛い女の子の絵が描いてあるバッグを買ってくれていたし。

その前には近所の人たちとみんなで幼稚園の講堂に行って、
お名前を呼ばれて「はいっ」と元気に返事をして舞台にも上がったんだもの。

その時、舞台の上で、商店街のくじ引きみたいにくじを引いたら、
やさしそうなおばさんが「あらあ残念でした。」と客席の皆と私に笑顔で言って、私は舞台から降りたの。

そんなことで幼稚園に行けないなんて思いもしなかった。

春になったので、私は幼稚園に行くと言って、バッグにお絵描き帳とクレヨンを入れて出かけたの。
お母さんは小さなおにぎりを作って持たせてくれました。

「いってきま~す」と出かけた先は社宅の中の小さな公園。
ブランコに乗って、お絵描きして、ペンチでおにぎりを食べて
「ただいま~。幼稚園行ってきたあ。」とおうちに帰ると、お母さんが幼稚園の様子を聴いてくれたのよ。

どれくらい続けていたのかな。
ある日(なんだか違う気がする・・・)と気づいたわたし。
「本当の幼稚園に行ってくる。」と決心したの。

初めてひとりで社宅から外に出ました。
大きなトラックも走る道路を一人で歩いていたら、
いつもお母さんといくスーパーのおばさんが私をみつけて
「ひとり?どこにいくの?」と声をかけてくれたの。

(どこにって、ようちえんなのに・・・)と思ったら涙がこぼれてきて、そのまま走ってうちに帰った。
泣いて泣いてわたしがどんなに幼稚園に行きたかったかお母さんのひざで訴えたの。

その後のことは覚えていないけれど、
そんなわけで私の短い幼稚園生活は終わりました。

おつたえしたいこと [日記]

駅やデパートのアナウンスで
「おつたえしたいことがございますので、お近くの係員まで」というのを聞くと、
(伝えたいことって何なんだろう)、と気になってしまいます。
係員の方に申し出たら、思いもかけない告白が!
なんてことだったら面白い。
(と、想像の翼を広げてみたりして)

普段は伝えたいことって、たいがい伝わりにくかったりします。

「おつたえしたいことがあります」と言ってみたら、 より伝わるかしら。


まずい… [日記]

もうゴールデンウィークも終わってしまった…。

最近、旅をしてないなあ、と思ったら、パスポートも切れてました!
いつでも旅立てるように取っておかなきゃ、と思ったのですが。

どうせならジムでもう少し成果を出してからパスポート写真を取りたい…などと思ったりして。

これもジムに通うモチベーションになるかしら。
(当初の予想どおりサボってしまっているの)

4月 [日記]

増税前の駆け込みのように、3月末に、思い切って。

スポーツジムに申し込みました!(まだ行ってない)

ちゃんと通い続ける自信が全くない(!)。

ジムに通うのは初めてではないのですが、
元々鈍くさい私は、ストレッチ姿もなんか様にならないんですよね…。
マシンも、使い方が合っているか今ひとつ自信が持てなかったり。

でもでも今度こそは、行かなきゃマズイのです。
このままじゃエライことになるのだ。

とりあえず新しいウエアを買って、自分をその気にさせようと買い物してきました。

おとな [日記]

すっかりごぶさたして・・・。
元気にしておりますです。

何もなかったように、またぼちぼち書き始めます(^^ゞ。

中指に小さな切り傷をつくり、ばんそうこうを貼りました。

次の朝、下地クリームをぬるのに、中指の代わりに人差し指を使ったとき、
一瞬にして幼いころの記憶がわーっと甦りました。

そう、こどもの頃、なにをするのも人差し指だった。
中指を使ったときには、なんだか大人になった気がしたのだった。

気が付けば、中指もくすり指も使える大人になっておりました・・・。


ありがとう [日記]

祖母が97歳で旅立ちました。

入院は長かったけれど、
そのほとんどの日々は穏やかなものでした。
最後、熱が出てしんどそうな時も看護師さんたちに「おおきに。」と伝えることを忘れなかった。

私は、大人になってからは年に何度も会わない不孝者でしたが、
最後の一年ちょっと、私の近くの病院にいてくれて、
本当に良い時間を過ごせたことに感謝です。

亡くなった日、祖母の家に集まった私たちを驚かせたのは、
祖母の大事なものが入った箱にあった、4人の子ども達の「臍の緒」。

長女であるわたしの母は、戦争が始まった2日後に、
教員をしていた祖父の赴任先の台湾で産まれています。

母の臍の緒に添えられていた小さな名札は、
当時の住所やお産婆さんの住所氏名までカラー印刷された美しいものでした。
そして帰国後に産まれた末の叔父の母子手帳も・・・。

戦争中も、そして終戦後、3人目を身ごもった体で船で帰国したときも。
そのあと、長い療養生活で家族みんなが離れて暮らしていたときも。

薬の包みほどの小さな4つのそれを、
大切に大切に持っていたのだと思うと、言葉になりませんでした。

私が知っているのは、働き者で、明るくて負けず嫌いでチャーミングなおばあちゃん。
苦労したという話も本人からは聞いたことがなかった。

おばあちゃん、見事な幕引きでした。

ほんとうにありがとう。

スイッチ [日記]

2週間くらい前に書いたもの。
すでにちょっと気分が変わっているけれど、載せておこっと。

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職場では・・・、
頼りないながらも超古株なので、それらしくふるまったり。

職場にも取引先にも、自分より若い人も多くなり、
最近、お客様という線引きがあいまいになっていって、
いつのまにか、頭の中では
(もっと、こうしはったらいいのにな)と、おせっかいなことを考えたり。


休みの日のほとんどは、完全にスイッチが切れている。

スイッチ切れると、本当に別人に近くなる。
子どもの頃の人見知りな私に戻って、普通の受け答えすらおぼつかない時も・・・(^_^;)。

旅に出て解放されると、また別のスイッチが入り、初対面の言葉の通じない人とも仲良くなれたりするのに。

週に1度くらい、祖母のいる病院で、食事の手伝いをしたり、
「ごはん、おいしい?」
「せきが出ますね。」
と、筆談と表情でのコミュニケーション。
ごく限られた情報量だけど、今の私にとっては一番自然体でいられる、癒しの時間。

直前のことを覚えていないおばあちゃんが、私の顔を見て
「あら、来てくれたの!」と笑ってくれるなんて、本当にご褒美だなあと思う。


これから年末年始の間は、昔の同僚や、高校時代の懐かしい集まりがいくつか入っている。

どんなスイッチが入って、どんな私が出てくるのかな。


そんなことじゃ。 [日記]

気持ちよい季節になりましたね。(秋は切なくなるけれど)

子どもの頃から、当たり前のように「優しい人になりたい」と思ったり、
「私はなんて冷たいんだ」と落ち込んだりしてきました。
(そう。こんなこと書いてるということは、つい先日もそうしてどーんと落ちていたのですね(^_^;))

ふと思った。

私が好きな人たち。
きっと彼女、彼達は、自分が優しいかどうかなんて気にしてないんじゃないか。

そんなこと関係なく、目の前にいる人の世話を焼いたり、
(しょうがねえなあ)とフォローしたり、
美味しいご飯を食べさせたりしてるんだ。

そう。私がなりたいのはそういう人たちだ。

「優しいね」なんて、
そんなこと言わせてるようじゃダメだね。まったく。

修行が足りないのか、
そもそも修行すれば、なれるのか分からないけど。

まだ思春期から抜け出せてないような、相変わらずのあまちゃんです。

わすれた・・・ [日記]

先日、今までやったことない忘れ物をしてしまいました。

朝、いつもより早く目が覚めて、時間に余裕があったので、
(たまには…)と、普段使わない保湿クリームをつけて、
(なじむまで、ちょっと時間をあけよう)と、他のことしてたら、
すっかり忘れて、クリーム顔のままで外に出ちゃった!!!

駅で気がついて、叫びそうになった(*_*)。

うつむいてダッシュでUターンしました(駅近くでよかった…)。
ああ、びっくりした(+o+)。
(周りの方がびっくりですよねー)

しかし、忘れるかな。
もう自分が信じられない…。

鶴ヶ城 [日記]

また思い出の話。

小学校三年生の夏。
担任だったおばあちゃん先生(当時、そう思っていたけど、定年前ということはまだ50代だったのか( ̄○ ̄;))から学年の女子児童10人ほどが呼び出されました。

「今年も学芸会でなぎなたをやります。」

それまで学芸会で高学年のお姉さん達が披露していた「なぎなた」を、3年生の私たちが!
と少し誇らしい気持ちでした。
他の学芸会の演目より、相当早い夏休みから、一生懸命稽古してました。

当時、よく分からずに踊っていたのは、まさに「八重の桜」でも描かれた女白虎隊の彼女達のことを謡った剣舞だったのでした。

「くちびるかんで眉上げて、花の乙女も白たすき 」

歌詞、覚えているものですね。(振り付けも)
私は「倒れし姉を肩に負い」と謡われた「姉」の役をさせてもらい、
最期は自ら短剣で…。というものでした。

幼いこども達に、あの演目を毎年のように熱心にお稽古して下さっていた先生。
どんな想いがあったのでしょうか。

福島県には訪れたことがなく、これまで自分とつながりがあるとは思いませんでした。
けど、何十年も前に、私は会津に触れていたんだなあ。。。


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